こんにちは、るりいろです。
ブログを見て下さってありがとうございます。
私は高校進学時、公立でなく女子校がなんとなく格好良く思えて、地元のキリスト教の女子校で学びました。
その学校の世界史担当のシスター(修道女)が、ローマの修道院にいた時に教皇の選出があって、「皆さ~ん、教皇の選出のときには、煙が出るのよ~」とか「ナポリは素敵よ。新婚旅行はぜひナポリに行ってね」とか話してくれるのを聞いて、「海外の色々なところを見てみたい!」と思うようになりました。それが私が20数か国旅行する原因になったかもしれません。
私は大学卒業後、当時は公務員を目指していたので、試験に合格して面接を受けたりしていたのですが、結局採用に至らず、自分で仕事を見つけなくては行けませんでした。
その時に、「忙しいので手伝って」と友人に誘われて、法律事務所で働き始めました。
しかし、6か月後、「仕事が無くなったのでほかで仕事を見つけてください」と言われて働き始めたのが、大手損害保険会社の事務センターでした。
ここは5年半働きました。今思えば、のんびりしていて居心地は良かったのですが、子会社ですので給料面で将来が不安になり、「このままではいけない」と思い、思い切って退社して英会話学校に通って、英会話やタイプ、パソコンなどを学びました。
今から思えば、この時にパソコンの操作やタイピングを覚えたことは後々すごく役に立ちました。当時の日系企業ではパソコンを使っている企業は少なかったのです。
その結果、外資系証券会社で働くチャンスを得ました。今では外資系金融は花形のように言われていますが、当時はほとんどの大卒は日系企業に就職してしまうので、東大卒の方はほとんどいなくて、変わり種のように言われていました。
3年ほど総務部で働いて、いろいろな部署の方と知り合い、お話しをしたりして楽しく過ごしていたのですが、会社が合併されることになり、リストラされてしまいました。
退職金はいただいても、仕事をしなくては生活できませんので人材紹介会社にいくつも登録して仕事探してました。その結果派遣社員として外資系証券会社で働くことができ、その会社では運よく正社員にもなれました。
3年近く働いていたのですが、またもやリストラにあいました。この時は映画やドラマの1シーンのような、今思いだしても胸が痛くなるようなリストラ宣告でした。
その頃は2000年、ミレニアムと世の中が湧いていたころで、一人寂しく部屋で過ごしていた記憶があります。それでも何とか次の仕事を見つけ、派遣社員としてやはり金融関係の会社で働いていました。時間に追われて仕事をしている状況は変わらなかったです。
その後、9.11やリーマンショックがありましたが、何とか仕事が途切れることなく働くことができました。
ここ10年くらいは、官庁や公的機関で働く機会が多く、今まで時間に追われて生活していたことが嘘のようにゆったりとした社会人生活を送ることができました。
昨年3月に仕事の契約が終了したのを区切りに、2011年から始めていたブログを本格的に行うことにしました。
2011年からブログを書き始め、今まで高額塾や個人コンサルを受けても、怠惰な性格でしたのでなかなか成果を出せなかったのですが、今回はじっくりと腰を据えて取り組もうと思っています。
海外旅行が好きで、今まで20数か国旅したことがありますが、コロナ自粛以前から全然旅行できていないので、また旅行できればいいなぁと思っています。